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モスクワ滞在記(下)

Cat2.jpg

寮の売店にて。風呂上りだったらしい。

続きです。
なおこのレポは JREX に提出したものとほとんど同じなので、先方から指示があれば消します。また内容に不備があれば指摘よろしく。

2016-03-09
 10 時出発、国立図書館内のチェス文化センターへ。歴代チャンピオンの直筆ノートやトロフィー、各国のユニークなチェス盤駒、希書などの展示物についてシネルニコフ氏の通訳による解説を賜る。盤駒については、将棋文化によく見られるように個々の芸術的深度を重視してはおらず、ユニークさや多様性により重きをおいた展示であった。このような施設が国営されているのは素晴らしいことだと思う。
 午前、チェスを1局。私の相手は変わらずウラディーミルだが、全体としては昨日と変わっていたようである(詳細は知らず)。この日もチェスで勝った者が出たと聞いた。
 階下で軽い昼食。セッティングの間、プロブレムに関する短い討論や、私が以前悩んだ 5 手詰めを出題するなどした。翌日アレックスが解けたと言ってくれたことが嬉しかった。
 将棋を 1 局。これまでの結果およびのちのスケジュール等鑑みてか、持ち時間にハンディキャップがつけられた。この日も将棋でロシア側に勝者が出たようである。
 大使公邸へ移動、現地にて羽生氏らと合流。大使館ではなく公邸へ招待いただいたことに、大使のご好意と羽生氏の影響力を実感する。早めに到着したためセレモニーまで邸内を見学させていただいた。欧風の重厚な調度の中にかかる横山大観の絵画が印象的だった。
 大使、羽生氏、シネルニコフ氏の挨拶や記念撮影等。
 日露の選手 1 名ずつでタッグを組み、計 10 組との羽生氏の将棋の同時対局。想像以上の数の報道陣に囲まれたが、皆比較的落ち着いていたように思う。

 Note: 私個人の対局についての分析を記したい。私のパートナーは前日モスクワ中心を案内してくれたエフゲニー、手合いは角落ち。中盤私の不注意で不利に陥ったが、必死に肉薄してむかえたのが次図(但し記憶をもとに再現したため正確でない可能性あり):
7mN.png
ここで私の予定は▲2一成香で、局後羽生氏にも指摘されたがそれが最善だった。以下△1六桂▲1七玉△2五桂▲同銀△同王▲3八飛△1四王▲1五歩△同王▲2六歩△2七桂▲1九桂が読み筋の一例で、下手が勝つ。ただし上手順の正当性に加え、△7八竜から詰まされる可能性、△1三玉から受けに回られる可能性も検討する必要がある。私がそれらを精査していると、エフゲニーから図で▲2九玉はどうかと提案があった。△7八竜からの詰み筋を緩和しつつ▲1八飛を狙っており、仮に先述の▲2一成香で負けと判断された場合のプラン B として私も考えていた手だった。大域的な飛車/ルークの活用を局所に優先させる意味でチェス的ではあるが(一方▲2一成香や▲9一とのように小駒を補充して局地戦を有利に戦おうとする発想はチェス的でなく読みづらかったと思う)、いずれにせよこの手を独力で発見したことは彼が並の初心者でないことを物語っている。私は感心して(やや無責任なことに)「いい手だと思う、ぜひ指してくれ」と頼んだが、羽生氏がしばらく立ち止まって指された△3七桂▲1九玉△1六歩が流石の対応で、以下負けてしまった。エフゲニーは局後自分のミスで負けたとしきりに悔いていて、申し訳なかった。外国語で自分の読み筋をすべて説明しながら対局する負荷は想像より遥かに大きく、今回一組が勝利を収めたことは率直にすごいと思う。
 対局後、夕食をとりながら歓談。観戦されていた外務省や駐在記者の方々に、今日の内容や最近の流行戦形等について高度な話題をだされ驚く。ここで事前にメールで希望されていた将棋の大盤駒をアレックスに贈る。
 Note: 会食中、7日に対戦したトクマチェフ氏から個人的な贈り物を頂いた。滞在中ぜひ買いに行きたいと以前に話したことのある書籍だった。FMの彼を相手に善戦できたからかもしれない。まったく予期しておらず、プログラム中もっとも嬉しかった瞬間の一つだった。
s_gift.jpg
(遊び紙に書いていただいたメッセージ)
 別れ際、トクマチェフ氏ら熱心な人々から、将棋の棋譜データベースはないのかと羽生氏が質問を受ける一幕。チェスでは上位プレイヤーの公式トーナメントでの棋譜は一般公開される。一方将棋にもデータベースは存在するが、将棋連盟が私有化しており、公開対象は棋士や記者等に限定されている。ごく狭い範囲に固定されてきた競技者層、紙上の公開権利によって新聞社と契約してきた歴史などから、しばしば棋譜が創作物のような扱いすら受けるためである。とはいえ現代のチェス文化に浸った者には、やはりひどく不便に思えるだろう。将棋界のこうした封建意識の打破は難しく、今日に至っても情報格差是正の機運は低い。もっとも現実的に思われるのは、棋界にチェスの愛好家・理解者を増やし、翻って棋界の現状を省みれる者を連盟内外に少しずつ増やしていくことである。正しく氷河の歩みで、具体的な形で進展するのは早くとも私たちの次の世代になるだろう。とはいえ個々で海外の愛好家のために可能なことは多い。私自身は参考できる棋譜や教材、また個人的な研究ノートを私家訳し、友人あてに公開していくつもりだ。

2016-03-10
 午前、モスクワ大学最上層にある博物館を見学。あまり公開されない場所らしく、長年大学に在籍していたシネルニコフ氏が初めて訪れる所もあったという。ロシアらしく地質学的展示が非常に充実していた。また博物館のみならず、学内いたるところ美術館めいていて壮観だった。昼食のち、先に帰国される羽生氏とピノー氏を皆で見送る。今回の実現に関して大いに拠るところとなったお二人に改めて感謝した。
 午後、徒歩圏内の建物にあるチェスクラブに移り、将棋・チェスとつづけて 1 局ずつ。流石に互いに疲れの色が見えていたが、草間がアレックスにチェスの黒番でドローを取った局は見事だった。
 終了後軽い食事をとり、ロシア選手有志による観光案内を受ける。メトロを経由しチェスセットが多数揃えられたボードゲーム専門店へ。一級の芸術品から財布様の携帯チェスまで並べられており、いくら眺めていても飽きなかった。またそんな私たちにロシアの友人たちは寛容に付き合ってくれた。モスクワ大学を再訪。周囲の夜景を楽しんで帰宅。前日ようやくプロープスクが発行されており、この夜だけ陽の目を見た。

2016-03-11
 市内観光。再三にわたってロシアの選手有志らが丁寧に案内にしてくれた。メトロにて移動、旧 Arbat 通りの土産店をめぐり、著名な演奏家の像やプーシキンゆかりの家など訪ねながら、8 日に訪れた Taynitsky Garden に出て中心部へ。以前はいなかった、無名兵士の墓を象徴する炎を警備する直立不動の哨兵の姿が見られた。また改めて陽光のもとクレムリンを見学。遠近感が狂いそうな幻想的な夜の趣とは異なり、不思議に周囲に溶け込んでいた。グム内で昼食。
 寮に戻り帰国準備。お世話になったロシア選手およびシネルニコフ氏と、寮および空港にて固く握手し他日を約して別れる。20 時ごろ SVO 発。

2016-03-12
 12 時ごろ成田空港着。解散。


 9 日大使公邸にて取材を受け、記者の一人から今回のプログラムのいちばんの収穫は何かと聞かれたとき、私は「ロシア人の生活にチェスがいかに深く結びついているか、文献上の知識ではなく経験として実感できたこと」と答えた。私の言葉は一見してトリヴィアルだ。それに個人の経験として、より印象的で受けの良さそうなエピソードはいくらでも選ぶことができた。しかしプログラム全体を真剣に俯瞰したとき、これは強調すべき真実である。
 日本における将棋文化とロシアにおけるチェス文化は、ゲーム性からプレイヤー集団の性質に至るまであらゆるレベルで共通項が見出される。いったん認識するとあまりに容易に対比されてしまうので、却って困るほどだ。しかしこの事実は一般の将棋愛好家に認知されているとはいえない。ある私の知人など、「チェス? ルール知らない。でも将棋のほうが複雑で面白いだろう」と言っていた。終局に至る組み合わせ数が将棋のほうが多いこと、コンピュータが人間を超えた時期が将棋のほうが遅かったことから彼はそう言ったのだと思う、それは数学的に誤った推論ではあるが。また当然ながら、彼はロシアのとりわけ冷戦以降の政経や思想、世界観とチェスの関係性などにも無知だった。私に彼を笑う資格はない。二年前の私と彼にそれほど差があるとは思えないから。彼の言は典型的な日本の将棋愛好家の考えを代弁していたと考えるほうがよい。
 一方、海外のチェスプレイヤーについても同様のことが想像される。もし彼/彼女が将棋を知らなければ、日本にこんな印象を抱くかもしれない:「先進国なのにGMが1人もいなくて、IMも片手で足りるほどしか輩出していないなんて。日本にはチェスの魅力に不感症の退屈な人間しかいないのか?」私の想像は意地悪にすぎただろうか。しかしさほど遠くはないと思う。
 この状況は不幸ではあるが、このプログラムの潜在的な影響力を示唆してもいる。将棋とチェスは同じ血筋の非常によく似た、しかし互いに強い個性を持った兄弟であり、日本とロシアは各々強い関心と敬意を払っている。ただ互いに兄弟がいることを知らないだけだ。私たちが互いをよく知るようになれば、将棋/チェスの枠組みを超えて日本人のロシア観およびロシア人の日本観を根底から変え、より広い文脈での日露相互理解に強く資するようになるだろう。そのために超えるべき障害は多くない。先の私の友人にしたところで、私がシンプルだが芸術的ないくつかのエチュードを見せてチェスの魅力を伝えると、間を置かずチェスにのめりこんでいった。逆もまた然りであることはロシアの友人たちを見れば分かる。相手の国の言葉で話せば相手は意思を魂で理解できる、とはネルソン・マンデラの言だったかと思う。チェスと将棋は言語ではないが、豊潤な対話の場として機能しうる。もし海外のチェスプレーヤーが日本を訪れることがあれば、自国で将棋を勉強し日本で将棋クラブを訪れるほうが、同じ時間を日本語の勉強に充てる場合より多くの友人が得られるだろう。
 したがってプログラムの存在理由として私たちがまず目指すべきは、ロシアにおける将棋と日本におけるチェスの膾炙なのであり、この点はいくら強調してもしすぎることはない。第二回はたいへん良かった。冒頭で書いたとおり、選手らはロシアにおけるチェスの位置づけを経験として学ぶことができただろうし、羽生名人のおかげで対外的に充分な話題性を提供することもできた。しかし話題性の半減期は短い。われわれはプログラムの枠を超えて交流を図り続け、また第三回の実現に努めるべきである。
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コメント

モスクワお疲れ様でした。

棋譜の公開という難しいという問題については、新聞社のスポンサー制度がある以上仕方のないことかと。情報の独占が出来なければやはり新聞社は困ると思います。

そもそも将棋何ぞなかなか金にならんことに手をかしている新聞社・NHKなどには将棋連盟もなかなか頭が上がらないような気もします。サッカーや野球選手のプレイに感動する人はたくさんいても、棋士の闘う姿に心を打たれる人はなかなかいないでしょうから。そもそもある程度の棋力がなければ、棋士がどんなにか難しい局面に直面し、答えの出せない所でもがいているかもわかりません。ニコニコ生放送とて、有料なら見る人は減るでしょう。NHKも中継をやめちゃいましたし。

チェスのような世界的システムが存在しない以上、日本の枠組みを守らざる得ないでしょう。

僕個人はチェス文化のほう良いとか悪いとかは思いませんが、将棋を伝統文化として捉えるか、ただのゲームとして考えるかという違いはあるのではないかと思います。
西洋人にとってはゲームはゲームでしかないので。
ゲームであっても死力を尽くすのは日本人独特の文化だと思います。だからこそあのような厳しい養成機関に入り、ほんの一握りの人間のみがなることのできるプロの道を目指すのでしょう。

あなた自身が三段落目で良い例を書いていますが、現行の枠組みはガタがきており、さほど守るべき価値がありません。プロ棋士という職業自体がすでに難しくなっています。百年後に消滅していてもべつに驚きません。
枠組みというのは連盟にとってはクリティカルですが、棋界全体にとって本質的ではありません。また伝統の最良の部分でもありません。
原田泰夫先生の界道盟の言に従えば、仮に今後連盟が墨守の道を辿ったとしても、盟外の将棋愛好家はべつの道、すなわち世界的システムの構築を志向すべきです。でなければ共に緩やかな死を遂げるでしょう。

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