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失われた時を求めて ~A la recherche du temps perdu~Ⅵ

追記に下回生へのメッセージがあります。下回生はそれだけでも読んでもらえたら嬉しいです。

6回生です。7回生ルールの下、就活は待ったなしの状況となりました。

最後の年。就活がメインでした。エントリーだけなら100は超え、面接にも30回以上行ったと思います。全て落ちまくり、自己嫌悪そして自己否定ぜざる得ない状態でした。今まで打ち込んだことよりも、生活環境によって大きくなった性格の歪みの方が大きく、とても苦労しました。9月にやっとの思いで一つ内定をもらい、生きる糧をなんとか見つけました。その後どうしても行きたい業界であった企業を受けて就職試験に通ったため、就活を12月に終えました。長かった。

就活はあまり語れませんし、語っても仕方ない気がします。ただ、理屈でモノを語ると大抵の人は遠ざかって行くと思いました。理屈で人の心は動かせない。それは分かっていても体感することはとても難しい。

富士通杯には出ませんでしたが、最後になる王座戦は結果を残したいと思いました。しかし結果は惨敗、最後だからという思いとは裏腹に、その為に最善の努力をしない自分がいました。詰将棋を100問毎日解くという目標も結局頓挫したのもいけなかったです。
王座戦の目標は優勝であり、王座戦という場で闘えるよう、チームのレギュラーになることではない。それにも拘らず、レギュラーの座を保ちながらそれで満足してしまう自分がいたような気がします。そういう意味では自分は団体戦で闘う資格を失っていたと思います。
それでいて悔しさで自暴自棄になるのも最悪であり、完全にダメ人間です。こういう精神的な弱さはどうしても克服が難しいですね。

卒業旅行などで気分をリフレッシュし、いざキリンへ。
どちらかと言うと老害で集まっただけ?のガチチームでも無いため、気楽に構えようと思っていたらいつもより終盤が鋭くなっていてかなり勝てました。チームも絶好調。

二日目は飲み会明けで徹夜組もいて(そういう僕も部室でカタン、ドミニオンでほぼ徹夜)、大変かなと思いましたが、日大戦は予選で当たった同じ相手に完勝、決勝も必敗の将棋を逆転し勝ちました。とにかく皆将棋が強かった。やはり年齢や留年?による連帯感が強かったのでは無いかと思います。

個人戦は卒業式があるので適当にやるつもりが二日目に残り、卒業式はブッチ。二日目は準決勝で負けて終了。最後の三位決定戦は将棋のことだけを考えていたのですが、いざ負けて見ると、「これが最後なんだ、やはり勝たないといかんかったなあ」と思いました。
キリンで始まり、キリンで終わった大学将棋生活。両親にもそれはそれで僕らしいと言われました。
でも、小山さんのように優勝を前面に出している人とは精神的に負けていたし、結局はアマ名人という格と気合に押されたところがあり、僕如き二流の将棋指しが勝てる相手では無いと思いました。そういうところは改善の余地があるんですけどね。

京大将棋部で頑張ってきたことや、そこで過ごした時間や努力は無駄とは思わないし、それを通していろいろな人と出会い、勉強させてもらったと思います。お世話になった先輩方、そして長々と話しに付き合ってくれた後輩達にはとても感謝しています。ありがとうございました。

それでも将棋界だけでは狭すぎるから、もう少し学生生活を楽しむにはより多くの人と付き合っていく必要はあったでしょう。就活で失敗してきたのはそういうことが原因かなと思います。でも僕は楽しかったし、それでいて就職もできたから運に恵まれたのだと思います。

社会人になることで、自由な時間、すなわち将棋に向き合う時間はかなり減ってしまうと思います。
でも、きっと将棋をやめることはないと思います。いや、やめられないと思います。どうしてか、常に強くなりたいと思っているから・・・

Fin

最後まで読んでくれた方に感謝いたします。

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失われた時を求めて ~A la recherche du temps perdu~Ⅴ

五回生です。ボーナスステージに突入!

帰国後はとりあえず大学院とか公務員とかいろいろ選択肢がありましたが、留学から帰ってきてから勉強への意欲もかなり減退してしまい、結局どれもうまく行きませんでした。
就活もろくにせずにぷらぷらしていたため、進路が決まりませんでした。就活を少しはしていたのですが本腰ではなく、適当にエントリーシートを出す程度でなかなか通りませんでした。家にひきこもってウォーズばかり毎日やっていた気がしますし。

そんな中、富士通杯に出場が決まりました。去年の富士通杯が惜しかったことは知っていました。今年は草間さんも加入し、戦力は僕の出る団体戦の中では最強だと思っていました。ただ、やはり将来を考えて就活に本腰を入れるだろうと考えていました。
それでも、主将の半ば強引?な勧誘を受け、出場を決めました。主将本人がそんなつもりじゃないのなかったかもしれないけど、僕が断れる状況を作らせないのがうまかったです。
最強の8人を揃え、団体戦に臨む以上、優勝以外は出なかったと同じこと、そう考えて臨みました。自分にはかなりのプレッシャーをかけていたと思います。
いつもと違って星がかみ合い、僕は負けてもチームが勝つ展開が多く(最後の◯っしー戦は戦犯でしたが)、優勝することができました。勝負所は落とさない、悪くなっても簡単には負けない、そこだけを心がけ、全力を尽くした結果でした。僕はいろいろと途中がダメでも、終盤でマイナス200点ぐらいの勝負が、できるならそれでいいと考えているので。序中盤も完璧にさせるほど強くないですし、終盤で間違えれば終わりですから。終盤を研ぎ澄ますことだけを考えていました。

その年は横藤さんに会いに北海道にいったり、世界大会を観に静岡に行ったりして全く就活や進路選択が適当でした。進路がなくなり自然と留年が決まり、王座戦は心置きなく将棋に全力を注ぎました。24最高レートもこの時期に更新しました。しかし、あと一歩及びませんでした。僕の人生を考えれば、一度でも団体戦の全国制覇ができれば満足するべきだったのかもしれません。

個人的に人間は満足した時点で成長がなくなると考えています。人間が豊かになればなるほど、どこかで満足した方がいいのではという考えもあると思います。確かに「知足」も大事なのかもしれません。ただ、人間が自らの欲望を律することが出来ないという状態に満足しなければ、倫理と科学のバランスをとりつつ知の発展は続いていくと思います。
人類が不老不死を手に入れたらどうなるのかなとかは考えたりしますが、まあ考えるだけ無駄でしょう。取りあえず水は高きから低きに流れる如く、全ての生命は死ぬ運命にあるでしょうから。なんか話が違うのでもうこの話はやめます。

将棋に関しては、これでいいと思ったことはありません。常に満足しない姿勢を貫き、昨日よりも今日は強くなっているのか、そう考えてこれからも望みたいですし、常に先を目指すことが大切だと思っています。とはいえ、時間は限られるのでしょうが。

明日で最終回です。

失われた時を求めて ~A la recherche du temps perdu~Ⅳ

四回生ですね。昨日は更新を忘れてしまい、モスクワ記とかぶってしまいますが失礼します。

王座戦から約二ヶ月後、パリへ。将棋の事は最初の1ヶ月は考える余裕もなかったです。フランス語の勉強が手一杯でしたから。勉強のやりがいはありました。とりあえず英語と日本語は使わないで過ごすように心がけていました。

それでも会話に困らなくなり、授業にもついていけるようになってからは少しずつパリの将棋サロンに行って、パリジャンとチェスや将棋を嗜むという事をしていました。
大会とかも60分とかの長い時間でさせるので楽しかったです。マルセイユにはタダで旅行に行けたりしましたし。
富士通杯2位、王座戦は4位だったでしょうか。富士通杯では山田さんは相当悔しかったと思います。僕は傍観者だったので、なかなか当時の部がどうなっていたかわかりませんが。
留学中に飼い犬が亡くなって悲しかったことを谷口さんとチャットで話した記憶があります。

でも、学生棋界を遠くからみていると、大会に出れないことへの鬱憤が溜まっていくのを感じました。精神的にフランスでの勉強があるからと言うよりも、物理的にフランスにいるから出られない、そういう思いを王座戦の時期には持っていた気がします。
これから社会人になると、仕事が忙しく時間的に大会などには出られないということが出てくると思っているのですが、大会に出られない鬱憤は溜まりすぎると精神的に爆発したりするんですかね。僕は相当将棋バカだろうという自覚はありますけど。

来年の事は帰国後考えよう、そんな浅はかさが、留年につながってしまうわけですが。所詮は行き当たりばったりで生きているからダメなんでしょうけど、なってしまったものは仕方が無いか。

失われた時を求めて ~A la recherche du temps perdu~Ⅲ

三回生です。全力投球が難しくなった年頃です。

ここから将棋に対する考えがかなり変わりました。今まではいつでも最善を尽くせるように常日頃からトレーニングを欠かさないという将棋の勉強法でしたが、最高のパフォーマンスを得るために精神的に強くなる方法を考えるようにしました。「勝負所での最高のパフォーマンス」、つまり、普段は雑魚でいいから、来るべく真剣勝負には備えるという方法です。
それからはあまり将棋の勉強はしなくなりました。一、二回の時みたいにご飯も食べないで寝ないで詰将棋や24をやるということをしなくなりました。大会前に調整、こういう方針に変えたわけです。(これは勝負前に徹夜することでは決してない。)
それ以降棋力が格段に強くなることはなくなったように思えます。ただ、一局にかける思いがかなり強くなりました。それだけ将棋以外のことを考えないで集中することが可能になったと思います。団体戦では隣の将棋が見えますが、勝負所の相手ならば隣で何が起ころうと気づかないぐらいその将棋にのみ集中する力を得たので、そういう時はどうすれば相手が間違えるかをとっさに判断できる将棋をさせていると思います。

づめが主将を務め、づめの家に集まるづめ研をやっていたような気がしますが、私はたぶん一回しか行ってないですね。なんかこの時には部室は既に過疎どころではなく、大会前の研究会でしか集まらないという部になっていた気がします。僕もほとんど部室に行かなくなった気もしますし、秋にはひきこもりになっていた気もするので。

富士通杯は6ー3でしたが、大将でこの成績なら及第点といったところで、山田さんが全勝なのに不甲斐ない結果でした。
その秋に代表を取った後、立命館の部室に行って団体戦もどきをやった覚えがあります。その後の飲み会で工藤君が妹について熱く語っていましたね。王座戦はその工藤君に負けて立命との優勝決定対決で負けを献上し、優勝が消えてしまいましたが。山田さんは来年もいることになっていましたが、私は留学が決まっていたので、山田さんとの最後の王座戦で勝てなかった自分が歯がゆく感じられました。

将棋部的には部内戦が消滅した時期でもあります。今では皆まじめに部内戦を消化しているので、立命館みたいに厳しい制度を導入する必要もないでしょうが、少なくとも将棋部で王座戦で優勝しようというモチベーションがあるのならば、部内戦には参加して欲しいなと老害は思います。上回生も下回生を鍛えるという事を少しでも考えてもらえたらと思います。まあ正直なところ部に活気が戻っていてとても嬉しいのですが。

今日はこの辺で。

失われた時を求めて ~A la recherche du temps perdu~ Ⅱ

二回生です。主将を務めました。

法学部の授業が忙しくなり、部室に行く機会は減りました。それでも結構時間を作っては部室に顔を出していましたが、このころから部室の過疎化が少しずつ始まってきていました。
また、谷口さんが京大を去り、将棋部がとても寂しくなりました。その埋め合わせが主将としては難しく、なかなか将棋部をまとめきれなかったと思っています。

それでもなんとか春は代表をとりましたが、富士通杯がボロボロでした。将棋をやっていてあれ程打ち拉がれたことは多分ない?と思っていました。まず勝つという主将としての責務が果たせず、とても残念でした。
将棋に負けて泣いたのは大学入学後はこの時はが初めてです。あと一回絶望がありますがそれはまた書きます。

その後詳細は省きますがいろいろとあって、秋から毎週金曜日にみんなを部室に集まって検討会をしたり、麻雀禁止令を出したりしたこともありました。自分なりに努力して部を変えていこうとしたつもりです。なかなかに大変でしたが。
また、立命館や阪大と立命館の教室を借りて交流戦をした覚えがあります。確かその時に洋二郎さんに「将棋がまともになったよね」と言われたような。こういう交流行事はお互いにwin-winな感じであれば続けていけると良いですけど、なかなか難しいところもありますね。

王座戦はやはり個人成績は6ー3。大学は3位でしたが、早稲田や東大に勝ったときは優勝も見えてきて盛り上がった記憶があります。BBAがとにかく強かった。
皆さんに支えられて何とか頑張れた一年だったのではないかと思います。本当にありがとうございました。

今日はこの辺りで。

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